赤松先生のインスタで、先日、牛田君が浜コンで演奏したプロコのソナタ7番(戦争ソナタ)のレッスンの動画が流れているのを拝見しました。「同音連打は機関銃がダダダダダダ…と撃っている音だから、音にムラが出ないように!」というアドバイスをされていました。
インスタの動画はこちらに拾えなかったので、下の動画をお聴き下さい。
下の動画は第3楽章ですが、後半になると低音で同じパッセージが出てきて、とても特徴的です。戦争の悶々とした逃れられない状態を表しているのだと思います。
先週から曲の研究に追われています。
3曲は「ここの強弱はこっちの方がイイかな?」
「この音を響かせるにはペダルはどうやって工夫しよう?」
「ここはテノールのパートを響かせた方が良いかな?」
と自問自答しながら、ほぼ出来上がりました。
今はブルグミュラー18の練習曲の演奏法の見直しです。
既にコンクールで研究した物はヨシとして、他の曲も「きらめき」が始まる前に片付けなきゃ!
昔の指導書は本当に使い物にならなくて、まずはアーティキュレーション(スラーや離鍵の位置)が異なるので、曲のイメージも変わって来てしまいます。また、最近になって、「作曲者が書いた音が間違っていた!」とか「リストの直筆の楽譜が見つかり、曲の題名が違っていた!」というのもあります。
先日、ブルグミュラー25の練習曲の一部が長年、音が間違って出版されていたことも判明しました。
また、音符の長さが違う物も発見!
ペダルも今では考えられないペダル指示があったりなので、耳を澄まして良い音楽を聴く耳を鍛えなければ!
「ピアノの森」のショパン国際コンクールの場面を見て、私は実際にあったポーランドのショパン国際コンクールのイーヴォ・ポゴレリッチを思い出しました。当時、凄い話題になり、記憶しています。彼は1980年、第10回ショパン国際ピアノコンクール(ポーランド)の本選で落選、審査員特別賞受賞授与。
そこで審査員であった女流ピアニストのアルゲリッチが、これまでのショパン解釈からは到底考えられない彼の演奏は奇抜すぎるとする他審査員に対し、次のように述べています。
「彼こそ天才よ!」といい、その場から立ち去り抗議。審査員を辞任する騒ぎとなりました。また、パウル・バドゥラ=スコダを始めとする他の数名の審査員は辞任はしなかったが、アルゲリッチに賛同の意見を述べました。尚、アルゲリッチがショパン国際ピアノコンクールの審査員に復帰したのはこの20年後、2000年でした。
この一連の出来事は「ポゴレリッチ事件」と呼ばれるようになり、ショパン国際ピアノコンクールの歴史を語る上で避けられない出来事となりました。
またコンクール期間中にもかかわらず、審査委員長のコルド氏、落選者のポゴレリッチの異例の記者会見がなされました。事態を重く見た審査員達は急遽ポゴレリッチに審査員特別賞を与えることを決定!上位入賞はしなかったものの、一気にスターダムにのし上がりました。コンクール後はドイツ・グラモフォンと契約、ショパンやラヴェルなどアルバムを多数リリースしました。
下の動画が彼の演奏です。この曲、私も若い時に弾きました。初めの衝撃的な音はショパンが病気で苦しむ不安が爆発したような音で始まり、その後、左手は心臓の鼓動を表しています。
浜コンの牛田くんの入賞者コンサートも1次予選の時に弾いたプロコのソナタ7番でしたね。
先日のTVでの浜コンのドキュメンタリーを拝見しました。
放送タイムがレッスン中なので困っていましたが、高校生の生徒のMちゃんがDVDに入れてくれると聴き、感謝感激です。それでしっかり拝見しました。牛田君は控え目で謙虚さも光っていました。今回の浜コン当時、拠点を倉敷に置いていたのは作陽大教授&モスクワ音楽院教授・アガジャーノフ先生のレッスンが気に入って、何度も受けたかったからだと推察いたしました。
確かにコンクール前にいろいろな先生のご意見を聴くのも参考になりますが、普段は一人の先生に師事するのが賢明だと私も思いました。
昔、私の知人で1週間に2人のピアノ先生に毎週、通っていた子がいました。「A先生の時はこの弾き方で」、「B先生の時はこの弾き方で!」というのを毎週、目まぐるしく弾き方を変えて練習するのは大変だなぁ!って思っていました。2人の先生の教えを自分の中で消化できるなら良いと思いますが、結局、その子はピアノに疲れ、中学生で辞めてしまいました。
それにしても、ロシアの先生の迫力、打鍵の仕方、内に秘めたパワーを音として表現する方法は見習いたいと思いました。
私も頑張らなくちゃ!
(伊藤仁美先生が「1位の子に焦点があまり当たらなかったけど、どうなったのかしら?」と仰っていて、確かにそうですね。日本人向けに番組を制作したからかな?と思いました。)